のむけはえぐすり 第70弾 原善三郎の話 その49 Aberdeen取材旅行 紅茶
東インド会社は茶を輸入する対価として、アヘンを中国へ持ち込んだ。だから東インド会社の末裔を探すには、「紅茶」と「アヘン」がキーワードになる。 今回は、紅茶部門についてたどってみる。
写真は、イギリスで有名な紅茶の4大銘柄のアール・グレイのティーバックである。左からリプトン、トワイニング、ブルックボンド、フォートナム&メイソンである。なぜかリプトンの後ろに隠れているのが、“三井”農林の日東紅茶だ。
トーマス・リプトンさんはグラスゴーで生まれ、1871年に食料品店「リプトン」を開店した。セイロンの茶園を手に入れ、流通や製法に工夫を凝らし、茶の価格を下げ、紅茶の普及に一役買った。 「赤い楯」の著者、広瀬さんは「”リプトン”は、かつてサスーン家のもの」だったと言い切る。紅茶の販売会社を輸入元が、いつ頃か、傘下におさめたと言うことだろうか。 現代のリプトンは、世界最大の食品会社「Unilever(ユニリーヴァー)」の子会社になっている。「ユニリーヴァー」はオランダの「マーガリン・ユニ」とイギリスの「リーヴァー」が1929年に合併した会社で、その仲立ちをしたRobert Cohenさんは、かつてオランダの「ロイヤル・ダッチ」とイギリスの「シェル」を結びつけたロスチャイルド家の人だから、巡りめぐればロスチャイルドさんのものだと言っているようだ。
トワイニングは1706年にロンドンのシティーの西で、コーヒーハウス「トムの店」から始まった。創業者のトワイニングさんは、東インド会社にも勤務したことがある。1717年に「ゴールデン・ライオン」という紅茶専門店を開き、1837年にはヴィクトリア女王の王室御用達になった。英国首相にもなったグレイ伯爵(Earl Grey)が好んだことに因んだアール・グレイという銘柄や、Edward [に因んだPrince of Walesという銘柄を出している。いつの頃からか、トワイニングさんの一族はゴールドスミス商会の重役になった。勿論、フランクフルトのゴールドシュミット・ロスチャイルド家の会社だ。一族には、アフリカなどの植民地の総督になったものが多いという。
ブルックボンドは、1869年にアーサー・ブルックさんがマンチェスターの「ブルックボンド」商会という紅茶の店から始めた。ボンドは単なる語呂合わせの付け足しらしい。広瀬さんは、「”ブルックボンド”はスワイヤ家のもの」と言い切る。香港の支配者といわれるスワイヤ家はキャセイ・パシフィック航空の大株主で、香港上海銀行の重役でもある。このブルックボンドも1984年にユニリーヴァーに吸収された。
フォートナム&メイソンの名前を、今回、私は初めて聞いた。ネットで検索すると、横浜のランドマークタワーに販売店を兼ねた喫茶店があった。この会社は、アン女王のロウソク係をしていたウィリアム・フォートナムさんが、家主のヒュー・メイソンさんと一緒にロンドンのピカデリー・サーカスの近くで、1707年に開業したのが始まりだ。ヴィクトリア女王の御用達にもなった。最近まで、紅茶価格の下落で店を閉じていたという。今は製造をトワイニングの工場に委託しているという話も聞いた。 三井の日東紅茶がそこにいるのが偶然ではないことは、後日話す機会があるだろう。
広瀬隆さんによれば、1798年のベンガル総督Richard Willesleyさんから、インド女帝・ヴィクトリア女王を経て、1948年の最後のインド副王Louis Mountbatten卿に至るまでの32人のインド総督は、ロンドンのロスチャイルドさんを頂点とした、5世代ぐらいの大きな家系図に収まってしまうとされる。 その家系図から、東インド会社の紅茶に関係のありそうな人を探してみると、話はさらに香港へと飛ぶ。
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