第140弾 のむけはえぐすり
古代の帰化人のふるさと 大伽耶の終焉
写真は陜川博物館の裏山にある多羅伽耶の玉田古墳群である。周りの景色から分かるように、多羅伽耶は山間の小さな国であった。
このような小国の集まりであった伽耶は、532年に金官伽耶が降伏した前後から、562年に大伽耶が滅亡するまで、約30年の間に立て続けに消滅した。
金官伽耶が新羅に降ったのは、金官伽耶第10代の王、仇衡(きゅうこう)王の532年である。金官伽耶には新羅による524年の第一次侵攻に続いて、529年の第二次侵攻があり、金官伽耶の主要な村が占領され、命運はほぼ尽きていた。
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