第172弾 のむけはえぐすり 継体天皇の三島藍野陵(太田茶臼山古墳)
2011-01-04




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第172弾  のむけはえぐすり

継体天皇の三島藍野陵(太田茶臼山古墳)

 

継体は弟国を出て、527年に大和の桜井市の磐余(いわれ)玉穂宮に入った。その5年後の531年に崩御し、三島藍野陵に葬られた。その陵墓指定地となっているのが、写真の太田(おおだ)茶臼山古墳である。

 

西国街道と道標のある一方通行の狭い道を右折し、茨木市の太田地区公民館の駐車場に車をとめた。西国街道とはかつての山陽道の江戸時代の呼び名だ。中でも京都から西宮までを山崎通(やまざきみち)といい、大阪を通らずに西国へ行く脇街道として参勤交代にも使用されていた。

 

公民館の前にある太田茶臼山古墳の案内には、この古墳が全長226m、前方部幅147m、前方部高


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[のむ けはえぐすり]

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