第179弾 のむけはえぐすり 近江の帰化人 新羅の白髭神社
2012-01-31




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第179弾  のむけはえぐすり

近江の帰化人 新羅の白髭神社

 

琵琶湖西岸の湖水浴を楽しむ車の渋滞に紛れながら、161号線を南下する。高島平野が終わり、比良山地の山並が湖に迫る辺りで、左手の湖の中にくすんだ朱色の鳥居が見えてくる。

 

不思議な光景である。湖岸から50mほど離れているのだろうか。湖には風もなく、波は静かで、夏の午後の日差しの中に、ぽつんと立っている。鳥居の柱を前後から支えるように稚児柱が設けられ、厳島神社の宮島鳥居に似て、両部鳥居と呼ばれている形式である。両部とは真言宗の立場から神道を解釈する際の神仏習合思想である両部神道からとった名称であるらしい。

 

14世紀ごろの「比良庄堺相輪絵図」には、鳥居が陸上に描かれている。それが琵琶湖の水位が変化するうちに湖の中に孤立し、16世紀の「江源武鑑」に記されている鳥居は湖上に立っている。白髭神社の境内にある鳥居復興碑には、昭和12年に大阪の薬問屋の小西久兵衛が荒廃した鳥居を立て替え、今の鳥居は昭和56年の復興事業で建立されたものだとある。

 

白髭神社の主祭神は猿田彦命だが、別社には白髭大明神、比良明神がある。白髭神社の言い伝えにはそれぞれの伝承がからみあって、ごちゃまぜになっている。

 

例えば、白髭神社の白髭とは、爾爾芸命(ににぎのみこと)が天孫降臨する際に道案内をした猿田彦命の髭のことだという話がある。そうかと思えば、白髭は新羅が転化した名で新羅系の帰化人が関係しているという話がある。さらに、白髭明神とこの地方の地主神である比良明神は同じだという話がある。比良明神が白髭の老人として近江地方の伝承にたびたび登場するのだが、それがまた謡曲「白髭」と白髭神社縁起では似ているようで違っているところがまた悩ましい。


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[のむ けはえぐすり]

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