第169弾 のむけはえぐすり 継体天皇の樟葉宮(交野天神社)
2010-12-02


参道の奥に、鎌倉時代に造られた交野天神社の本殿がある。一間社流造、檜皮葺の本殿は、末社の八幡神社と並んで鮮やかに塗られた朱の色が艶めかしい。軒を支える蟇股(かえるまた)は室町時代に修復され、繊細な彫刻が施されている。

 

延暦6年(787)、武天皇が長岡京の南郊にあるこの地に、父光仁(こうにん)天皇を天神として祀る郊祀壇(こうしだん)を建てたのが、交野天神社の起源である。中国の皇帝が毎年冬至の日に、都の南に天壇を設け、天帝を祀った例にならったという。「のむけはえぐすり」の153弾で上田正昭先生が講演なさった桓武天皇の郊祀壇がここにあったのかと、思いがけない出会いに驚いた。

 

本殿の右手に、樟葉宮の旧蹟と書かれた手書きの素朴な案内がある。鬱蒼とした森の中の小径へと足を踏み入れると、森の中は大きな木に光が遮られて薄暗い。所々に朽ちた倒木が横たわり、灌木もまばらだ。手つかずの原生林の姿に圧倒されながら200mほど進むと、小高い丘に向かう石段がある。登ると写真のような貴船神社があり、その辺りが継体天皇樟葉宮跡伝承地だという。格子戸の中を覗いてみると、朱塗りの小さな社殿がある他には何もない。

 

枚方市教育委員会が書いた史跡案内には、武烈天皇の死後、大連大伴金村らによって越前の三国から迎えられた男大迹(おおど)王は樟葉で即位したが、その時、王の知己である河内馬飼首荒籠(かわちのおびとあらこ)が密使として活躍し、即位には北河内を本拠とする馬飼部の大きな貢献があったと記されている。


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[のむ けはえぐすり]

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